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東京高等裁判所 昭和48年(う)684号 判決

被告人 市川一男

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金三万円に処する。

原審における未決勾留日数の全部を、一日を金一、〇〇〇円に換算して右刑に算入する。

右罰金を完納することができないときは、金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

理由

本件控訴の趣意は、東京地方検察庁検察官検事伊藤栄樹作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、被告人及び弁護人村藤進連名の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。これらの各所論にかんがみ、右控訴の趣意について、つぎのとおり判断する。

論旨第一について。

所論の要旨は、本件における被告人の行為は、客観的に、火災という重大な結果を発生させる危険性がきわめて大きいものであり、しかも、被告人がわずかの注意を払えば、本件現場及びその付近に可燃物が存在し、自己の行為により火災になり易いことを認識することが容易であり、結果の発生を回避し得た場合であることが明らかであるから、本件失火については、当然重大な過失を認めるべきであったのにかかわらず、原判決が通常の過失を認めたのは、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認または法令の解釈適用の誤りをおかしたものである旨主張するものである。

よって、原審記録をつぶさに検討し、かつ、当審における事実の取調の結果を合わせて考察すると、被告人の当公判廷における供述及び原判決挙示の証拠を総合すれば、

被告人は、原判示日時ころ、原判示神田マサ方店舗兼住宅に接するその西側道路の同店舗兼住宅に接する付近を通りかかった際、喫煙のため同所に一時立ち止まり、同店舗兼住宅の方を向き、かつ、少し前かがみになった態勢で、所携のマツチを使用してタバコに火をつけたが、同所付近は、人家の密集する繊維問屋街であり、前示神田方店舗兼住宅は、木造二階建で、当時、その西側軒下には、同家屋に接着して設置された高さ約一・五メートル、幅約一・一八メートル、奥行約〇・三二メートルのベニヤ板製物入れ箱があり、そのそばには、新聞紙、紙屑等を入れたふたのない角型のポリエチレン製ごみ箱等が置いてあり、また、右ベニヤ板製物入れ箱の上方には、右神田方の布製ひよけテントが右物入れ箱の上端から約一・六メートルの位置にまで垂れ下がつていたものであつて、この神田方前の前示道路には、両家屋から約七・四メートルの位置に街燈が設置されており、付近店舗にも、閉店後ながらも電燈がついていたものもあつて、以上の建物・器物の状況を充分に認識し得る照明があつたのであるから、このような場所で、このような時刻にマツチを使用して喫煙をする者としては、その使用したマツチの軸木が完全に消火して残火がないことを確認したうえでその軸木を捨てるか、または、残火のある軸木を捨てても、その残火から他の可燃物に燃え移るおそれのない安全な場所を選んで捨てるなどし、もし、自己の捨てたマツチの軸木の残火が他の可燃物に燃え移つていることを認めた場合には、直ちにこれを消火するなどし、火災の発生を未然に防止すべき当然の注意義務があり、右は、わずかの注意を払うことにより、事実を認識することができて火災発生の危険を避けることが可能であつたものであるにかかわらず、被告人は、酔余これを怠り、前記マツチの軸木を残火があるまま漫然落とすように投げ捨てたところ、これが前示新聞紙、紙屑等を入れてあつたポリエチレン製ごみ箱の中に入り、右軸木の残火が同ごみ箱内の紙類に燃え移つたが、被告人は、このため地上数十センチメートルのところに火がちよろちよろと燃えているのを認めながら、大事にはなるまいと軽く考え、これを消し止める措置を講ずることもせずにその場を立ち去つたため、右ごみ箱内の紙類の火が間もなくさらに同ごみ箱の脇に置かれていた段ボール箱や前示ベニア板製物入れ箱に燃え移り、その一部を焼燬して、前示ひよけテントの方向へ燃え上がり、右神田方等の建物に延焼するおそれのある危険な状態を招来し、もつて公共の危険を生ぜしめたものである、

ことが認められ、右認定に反する被告人の原審及び当審公判廷における各供述部分は、信用し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠は存在しない。右認定事実によれば、被告人は、残火のあるマツチの軸木を漫然落とすように投げ捨てたところ、これが前示新聞紙、紙屑等を入れたポリエチレン製ごみ箱の中に入り、右軸木の残火が同ごみ箱内の紙類に燃え移つたもので、被告人は、右のように火がちよろちよろと燃えているのを見ながら、大事にはなるまいと考え、これを消し止める措置を講ずることもせずにその場を立ち去つたというのであるから、まことに、わずかな注意を払いさえすれば、自己の行為の結果、前示神田方等の建物等に延焼するおそれのある火災の発生という大事を認識することができ、その結果の発生を回避し得たものというべきであつて、本件における被告人の過失の程度は、所論のいうように刑法一一七条の二にいう「重大ナル過失」に当たることが明らかであるから、原判決がこれを同法一一六条二項所定の単純失火の罪に当たる旨認定したのは、事実を誤認したもので、この誤認は、判決に影響を及ぼすことが明らかである。もつとも、検察官の昭和四七年一二月一九日付訴因・罰条の変更請求書の記載によれば、被告人が火のついたマツチの軸木を漫然落とすようにして右ごみ箱に捨てたことまでが被告人の重大な過失のある行為として表示してあつて、前示認定のように被告人が投げ捨てた残火のあるマツチの軸木が新聞紙等を入れてある前示ポリエチレン製ごみ箱の中に入り、右軸木の残火が同ごみ箱内の紙類に燃え移り、ちよろちよろと燃えているのを見ながら、これを消し止める措置を講ずることもせずにその場を立ち去つた旨の点は、右請求書に表示されていないのであるが、原審の審理の経過からみて、原審としては、この点についても訴因の拡張等の手続をさせ、審理を尽くすことが望ましかつたと思われる。当審において、検察官は、右の点につき訴因の変更の請求をしたので、当裁判所は、この請求による変更後の訴因を含めて判断することとする。要するに、検察官の論旨第一は、理由があるので、その余の論旨についての判断を省略し、刑事訴訟法三九七条、三八二条により、原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により、つぎのとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和四六年一一月二七日午前零時二〇分ころ、東京都中央区東日本橋三丁目一二番三号喫茶店「コーナー」こと神田マサ方店舗兼住宅に接するその西側道路の同店舗兼住宅に接する付近を通りかかつた際、喫煙のため同所に一時立ち止まり、同店舗兼住宅の方を向き、かつ、少し前かがみになつた態勢で、所携のマツチを使用してタバコに火をつけたが、同所付近は、人家の密集する繊維問屋街であり、前示神田方店舗兼住宅は、木造二階建で、当時、その西側軒下には、同家屋に接着して設置された高さ約一・五メートル、幅約一・一八メートル、奥行約〇・三二メートルのベニヤ板製物入れ箱があり、そのそばには、新聞紙、紙屑等を入れたふたのない角型のポリエチレン製ごみ箱等が置いてあり、また、右ベニヤ板製物入れ箱の上方には、右神田方の布製ひよけテントが右物入れ箱の上端から約一・六メートルの位置にまで垂れ下がつていたものであつて、これらの状況については、付近の街燈等により、充分にこれを認識し得る照明があつたのであるから、このような場所で、このような時刻にマツチを使用して喫煙をする者としては、その使用したマツチの軸木が完全に消火して残火がないことを確認したうえでその軸木を捨てるか、または、残火のある軸木を捨てても、その残火から他の可燃物に燃え移るおそれのない安全な場所を選んで捨てるなどし、もし、自己の捨てたマツチの軸木の残火が他の可燃物に燃え移つていることを認めた場合には、直ちにこれを消火するなどし、火災の発生を未然に防止すべき当然の注意義務があり、右は、わずかの注意を払うことにより、事実を認識することができて火災発生の危険を避けることが可能であつたものであるにかかわらず、被告人は、酔余これを怠り、前記マツチの軸木を残火があるまま漫然落とすように投げ捨てたこと、これが前示新聞紙、紙屑等を入れてあつたポリエチレン製ごみ箱の中に入り、右軸木の残火が同ごみ箱内の紙類に燃え移つたが、被告人は、このため地上数十センチメートルのところに火がちよろちよろと燃えているのを認めながら、大事にはなるまいと軽く考え、これを消し止める措置を講ずることもせずにその場を立ち去つたため、右ごみ箱内の紙類の火が間もなくさらに同ごみ箱の脇に置かれていた段ボール箱や前示ベニヤ板製物入れ箱に燃え移り、その一部を焼燬して、前示ひよけテントの方向へ燃え上がり、右神田方等の建物に延焼するおそれのある危険な状態を招来し、もつて公共の危険を生ぜしめたものである。

(証拠の標目)(略)

(本位的訴因及び第一次予備的訴因に対する判断)

これらについては、原判決が詳細に判断しているところであり、当裁判所の判断も格別これらと異なるところはないから、これらを引用する。

(法令の適用)

被告人の判示所為は、刑法一一七条の二「重大ナル過失ニ出テタルトキ」、昭和四七年法律六一号による改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号、刑法一一六条二項に当たるので、所定刑中罰金刑を選択し、その金額の範囲内で被告人を罰金三万円に処し、刑法二一条により、原審における未決勾留日数の全部を一日金一、〇〇〇円に換算して右刑に算入し、刑法一八条により右罰金を完納することができないときは、金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置し、原審における訴訟費用の負担免除につき刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して、主文のとおり判決する。

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